日本の心、和の心。
とはよく言うけど、最近の日本の心が和の心かどうかは、ちょっチ疑問ですね。
アメリカのリッチモンド大学でのサマープログラムが浜松にある語学学校で開かれてまして、そこでアシスタントやらせてもらっています。
日本語の勉強だけではなく、日本文化にふれるということで、色々なプログラムが用意されています。
その一つとしてお茶会がありました。
茶席でお茶を点てて、作法に則りいただく。
ただ普通の日本人がどれほどやっているかと言うとね。
さてお茶会での試練といえば正座。
学生の中では慣れないどころか、初めての人もいるかもしれない足のしびれに早々に諦めて足を崩すのもいたし、最後まで我慢する生徒、涼しい顔して正座をし続ける生徒と、色々でした。
私としては学生の手前、足を崩すなんてことは出来ません。
最後までなんてことない顔して、最後まで正座しましたとも。
お茶会というのには何度か参加しましたが、考えてみれば、全部日本語学校がらみ。つまり日本語学校って言うのは日本文化を体験と言ったら茶道って考えるみたいですね。
お茶を点てられる日本人がどれほどいるかはともかく。
やはり残そうと努めていかないと、文化なんてあっという間になくなってしまうんでしょうね。
で、いったん消えたらもう復元は出来ないんですから。
おそらく、どれほど多くの貴重な文化が消えていったことか。
書面や音、画像では伝えきれないんでしょう。
じゃ、どうするのか?
人間が実際に覚えてやっていくしかない。
何年どころか、何十年もかけて一つの技術を習得し、次へ伝えていく理由はそんなとこにもあるのかもです。
パソコンに刺さっているUSBメモリーってあるけど、私ら人間も一この地球という星の記憶維持に努めるUSBメモリー見たいなもんですか?
私ってばどのくらいの容量あるんだろ?
ま、入れたはいいけど、エラーがでるのも当然あるだろしね。