卒業式

 ♫卒業式で泣かないと冷たい人と言われそう♪
 なんて言われても(歌われてもかな?)学生の時は卒業式なんかで泣いたどころか、泣きそうになったことすらない。
 ま、あんなのはドラマや漫画の世界だけでしょうし、むしろもう学校に来なくていいかと思うだけでせいせいする、ぐらいだったかなぁ。
 大学の時は卒論終わったらイタリアへ行ったから、式には出なかったし。 
 ま、卒業式への見方が変わったのはむしろ、教師になって見送る側になってからかな。
 
 卒業式って当の生徒よりも、学校側の人間のためにやってるって部分多いからかも。
 それでも式当日は、普段のラフな格好から、フォーマルの格好になった生徒たちは実に新鮮に見えました。
 
 ま、会うは別れの始め、入学してきた彼らとはこういう日がくるの分かってたんですけどね。
 でも改めて別れの場に立つっていうのは感慨深いものがあります。
 そして、私自身も今日でこの学校を去ることになるわけですから。
 本当に色々な思いがこみ上げてきました。
 資格を取ったばかりでなんの経験もない私を採用してくれて現場で学び、経験を積むそんな貴重な機会を与えてくれたこの学校や、私なんぞを先生と呼んでくれて、教師としてのあり方を教えてくれた生徒たちにはどれだけ感謝しても足りないでしょう。
 私はこの先も、また違う場所で日本語教師として仕事をしますが、そのことを、まるで自分のことのように喜んでくれて、そして、頑張ってくださいって多くの生徒から応援されました。
 マイッチャウナァ、もう
 ガンバンのは君たちもでしょ!って言うんですが嬉しかった。
 それと同時にこの子たちに恥ずかしくない、そんな生き方しなくちゃねと思わされました。
 生徒たちの笑顔っていうのは、上の先生のどんな言葉、説得よりも胸に響きます。
 この笑顔を裏切るような恥ずべき行為は出来ないっしょ、やっぱ。
 ホントに教えることは教わること、いやそれ以上に何かを得るの連続でした。
 一人一人から少しっつだけど、大切なもの、貴重なものもらって私ん中にそれが溜まってって、今の自分、つまりまぁ教師としての自分、それ以外の自分が出来ているんだから。
 それに対して私がどれだけ彼らになんかをあげられたのか、疑問なんだけどさ。
 もう私の人生、私だけのもんじゃないし。
 んなことに気付くのに、なんか分かってたことなんだけど実感できました。
 新聞なんかで教師が犯罪をしたなんて記事あるとホント辛くなる。
 そいつのことを職業だからという意味であったとしても先生と呼んでくれてた生徒がいたわけでしょ。
 その子たちのことを考えなかったのかね。
 自分が教わった人が犯罪者だった、そんな人間を先生と呼んでいた、
 そう思うだけで、やっぱ少なからず嫌な思い、悲しい思いするはずなんだから。
 
 ま、私もそれほど立派な人生送っているわけじゃないけど。
 でも少なくても、生徒が、私を成長させてくれた、大人にさせてくれたのは間違いない。
 彼らの成長ぶり、ホントに見てて気持ちいくらいの頑張りや、拙さ、一途さ、真っ直ぐさが捻て凝り固まった私の心にストレートに響いたんだから。
 いいことも悪いことも直球勝負だった。
 受け取る手が痛くなるくらいにね。
 だから、まだまだまだ頑張れるんだ、私は。
 人には頑張れなんて絶対言わない。
 元気でって言葉もいらんな。
 元気ない時もある、出ない時もある。それは悪いことじゃない。
 落ち込む悩むそれも悪い事じゃない。
 そんなときって必ずあるんだし。
 月並みだが
 明けない夜はない、やまない雨もない。
 でも明けるのを、止むのを待てないときは、自分で歩きだしてもいい。
 世界のどっかは朝だし、晴れてるんだから。
 今いる場所だけが世界の全てじゃない。
 世界は結構あやふやでいい加減で、それでいて上手く出来てる。
 だからこうあるべき、こうでなくてはいけないなんて、自分で世界を閉ざしたり、狭めたりする必要もない。
 
 全く、君たち生徒諸君が私に教えてくれたこと、書き上げてったらいくら書いても書き足りないよ。

 そんな君たちに私が言えるのはこれだけさね。
 ありがと、本当にありがと
 じゃあね、またね、バイバイ。