君去りし後に

 早朝に突然の別れが訪れました。
 会うは別れの始めなんて言うまでもなく、いつかこういう日が来るということは分かっていたつもりでしたが、それでもつらいですね、何度体験しても慣れやしない。
 13年飼っていた我が家の愛犬が今朝早く息をひきとりました。
 もうペットという枠を通り越えて家族の一員でした。
 両親はもうこれ以上ないくらい、いつも愛情を注いでいましたから。
 
 最後はもう眠っているかのように静かな寝顔でした。
 今朝も仕事行く時に、行ってくるねってその寝顔に声をかけたのですが、今にも起きてきそうでした。
 もちろんその瞳はもう開くことは無いのですが。
 見慣れたはずの早朝の街がなんだか今日は違って見えました。
 やけに空気が澄んでいて遠くまでずっと遠くまで空が広がるような感じです。
 なんででしょ。
 そのうちガラス越しに見るような風景になっていくんです。
 これは、ま、泣いてるのか、私が。
 
 
 大型犬の13歳というのは人間の年齢にして90歳を超えているのだとか。
 最後まで両親に見守られながら静かに眠るようにいきました。
 犬を飼うと決めた時からこういう日がいつか来る事はわかっていたんです。
 私が先に死ぬなんて考えたことありませんでしたから、
 
 そしてそれがどんなにつらいか、私は子供の時一度経験しているんです。
 でもいつか来る悲しみを理由に、今の全ての出会いを否定することは愚かでしょう。
 
 命なんです。生きているんです。だからこそあんなにも愛しかったんです。
 話題のロボット犬や、どんなに精巧な犬の縫い包みでも、こんな感情は持てません。
 
 それが命なんです。
 いつか命は尽き、
 今度は私たち家族や、我が家の愛犬を知る者の記憶の中で魂となって生き続ける。
 それは心の糧となり、想い出として積み重なっていく。
 そうやって死んだものは生きているもののために、どっかで生き続けるんです。
 遠くに感じたり、ふとすぐ近くにいるように感じますが、形が変わっただけで、無くなってしまうなんてことは絶対になくてさ。
 世の全てのものはそうして循環する。だからいつかきっとどっかで違う形で会う事になるはず。
 めぐりゆくもの、全てがいずれめぐり還るのですから。
 分かっているのに、こんなに分かっているのに、やっぱり近しいものの死を納得して受け入れるのは本当に難しい。
 どんなに言葉並べてもです。
 所詮は言葉に過ぎないのかな。
 そして言葉というのはどこかでやっぱり無力なものです。

 
 悲しみが大きいですが、それは一緒にいられた年月の喜びがあったからこそでしょうね。
 だから今は出会えたことに感謝しながら、君との楽しかった思い出を泣きながらゆっくりと、語るよ。
 
 今日両親が火葬して、骨を奉納してきました。
 そこは、我が家の愛犬の両親や兄弟が眠っているところでもあります。
 今頃はもう家族には会えたのでしょうか。
 今度、行ってみようと思います。
 
 ありがとう。
 君と出会えたことに。
 そしてこんな私をも愛情を注いでくれて。
 私が可愛がっているつもりだったんだけど、実は違っていたね。
 君が私をこんなにも愛情込めていてくれてたんだよね。
 今頃分かるなんてさ。
 ホントいつも気づくのが遅すぎるんだよね。
 
 だから今は少しだけ泣いときます。