浜松セミナー始まり始まり。

 日本語教師と日本語を教える日本人の違いは、いかに自分がネイティブスピーカー、つまり母語話者であることから離れて、学習者の側から見る事が出来るか、ということでしょう。
 分かってはいるつもりでしたが、今回のセミナーに参加してまだまだだねと言う事が分かりました。

 日本語を教えるにあたってその教授法というものがありまして。
 教え方、その理論を私もある程度勉強した上で、授業に臨んでいるのですが、その事には特に何の疑問も持たずに来てしまいました。
 言葉と言うのは意志や情報、目に見えるものから見えないものまでを自分以外の人に伝えるシステムです。
 無駄なものは一切なく、必要ないものもありません。
 というのも意味ないことや無駄なことというのは、時代とともに消えてしまうのですから。
 今ある言葉はきちんと存在する理由があり、説明できるはずなのです。
 
 でも自分が教えるにあたり、教授法をそのまま使ってしまい、何故、そう教えるのか、そしてそう教えることで学習者にはどう伝わるかという事に考えが至ってませんでした。
 
 なんかこれまでとこれからを考えるいいきっかけになりました。
 そうそう直ぐには変えられないかもしれませんが、根底にそのことを意識としておいておくだけでも違うでしょう。
 先生もおっしゃってました。
 色々な事を吸収して、とにかく継続することだと。
 そうすれば、先生なのに知らないことを知られるのを恐れて取り繕ったり、強がったり、分かりもしないことを、さも分かっているなんて風にしなくてもよくなるのですから。
 まだまだ勉強です。
 でもそれに面白さ、楽しさを見出しちゃったからさ。
 もう戻れないし。
 いまはただやるだけかな?

 したい事に優先順位付けて、努力しなくてもいいから言い訳しないこと、やり通すこと、それで大抵の事は上手くいく!!
 はず、多分…
 なんでか弱気。