二人きりの夜、一人ぽっちの夜

 ふと見上げた空には月に雲がかかってしました。 
 明日は天気悪いのかと思いつつ、庭にいるダルメに早く家の中に入るように言っているのですが。
 こいつが両親のいうことだと素直に聞くくせに私が言っても全然効果なし。
 時刻は既に午前3:00まわっているんですけどね。
 
 とにかく夜中じゅう鳴き声が止まないので外に出してみたんですけど。
 今度は庭を歩きまわってちっとも家の中に入らないのです。
 誰かを探しているかのように。
 寒いのは私だけでなく、ダルメだって同じはずなのにね。
 いつもいる人が、今日はそばにいないからなのかな。
 面倒見るのは構わないけど、ダルメの方では私に面倒見られたくはないみたい。
 ま、いいんですけど。
 一緒につきっきりでいたって、結局は1人と1匹。
 そう、1人でいるならば、例え周囲にどれだけ人がいようと、どこまでいっても1人なんです。
 今ダルメが何をして欲しくてどうすればいいのか分からないし、ダルメのほうだって私が今こう思っているなんて知る由もないでしょうし。
 誰も分かってくれないっていう人いるけど、当たり前じゃんね。
 言っている本人だって自分以外の人の事分からないだろうし、分かろうともしていないのだから。
 もっとも自分の事だって分かっているのか怪しいものですが。
 それでも分かりたいと思う所に、人らしさってものがあるのやもです。
 分かりあおうとする所に。
 たださ、所詮分かり合えないということを根底に置いておかないとね。
 じゃないと、話せば分かるなんて思ってしまうと、分からない時、分かり合えない時になったら、それは相手が悪いと思うようになってしまうから。
 第一、分かる、分かっているなんて思ってしまった瞬間、それは何も分かっていない事と同じなんですよね。
 特に他人の事となると。
 分かりそうで分からない、もう少しで分かりそうなのに言葉が見付からない、もどかしくてイライラするという時こそ、もしかしたら一番他人に近づいた時なのかもしれません。
 分かったと思った瞬間、つまり自分の言葉になってしまった瞬間、あっという間に遠くなってしまい全く分かってないのと同じ事にまで落ちてしまうのでしょう。
 いえ、自分がいかに分かっていないのか分からない分、更にひどいかもしれません。
 同じ人同士でも分かり合えないのに犬の気持ちとなるともう、なにを言わんや。
 
 ま、そう考えてしまうとちょっチ寂し過ぎですから、考えないようにしているんですけど。