日本では体育の日、だったのはもう昔の事。
 でも噂ではまたもや東京でオリンピックをするために誘致運動が始まっているのだとか。
 今更なんで?という気がしないでもないのですが。
 そしたら又新しく体育の日なんてものが出来るのでしょうか?

 
 ロイヤルアカデミーの庭に展示されていました。
 とにかく大きいです。
 ナンなんでしょう??
 四つんばいになっている人が誰かの頭を抑えているようでもあり、見方を変えると人の頭を足場にして壁を登っているのかもしれません。
 芸術的にどうなのかは分かりませんが作るのに手間といいますか労力のかかりそうな作品なことは確かでしょうね。
 何を表現したかったのかは言葉云々で語られる物ではなく見た物の感性に委ねられるのでしょうけれど。
 それにしても私は完成品しか見ることは出来ませんが、誰が見てもただの銅版といったところから始まり、ここまで完成されたその過程というものは一体どんなものだったのでしょう?
 製作者は一人で毎日何を思い何を見てこの作品をここまで仕上げたのか。作っている間どんなことを考えていたのか、それは本人にしか分からないことですね。
 以前聞いた話ですが作り手というのは作品を作る前から完成した形というのが見えていて、そこにたどり着くために手を動かしているのだとか。
 だからこそ、手を入れすぎず、終わるべきところで終わらせることが出来るのだそうです。
 私に絵心が無いのはそれが出来ないからでしょう。真っ白な紙を見ても自分の描きたい絵というものがちっとも見えてこないうちに筆を進めてしまうからどんどん描きたい物から離れていってしまうのでしょうね。 
 最初の一筆を何処から入れてそしてどう終わらせるか。
 それが定まらぬうちに走らせてしまうとほんとうにもう迷ってばかり。
 でも迷いがあるからこそ確信というものが生まれてくるわけですが。
 ただ曇りも無く迷いも無くただひたすらに自分の信じる完成に向けて進むというのはなんとも難しいことで。
 ここまでひとつの事をやり遂げた気分と言うのはどんなものだったのでしょう。
 それはやり遂げた人間にしか分からない達成感なのか、それとも終わってしまうことに対する喪失感なのか。
 ふと、これって期間が終わった後で片付けるの大変だろうな、なんて考えてしまう私はホントに俗物なんだしょうね。