何だかんだ言っても結局パソコン使ってますから
高尚なものからどんなに下らないことまで、文字で書かれたものというのは、誰かに何かを伝えるための自己表現の一つです。
それは本であったり、詩や脚本、手記や手紙、日記に落書き、メモ書き、メールなんかもそうです。
私のこんな下らないブログにしたってそうでしょう。
ま、あまりにも薄いので何がどう伝わるのかなんて考えたこともありません。
ただ取り留めも無く綴っているのですが。
でも、物は考えよう。今は下らなくても時の重みが加わればそれは書いた本人でさえ想像できないような貴重なものになることだってあるのですから。
ところで私、本棚にぎっしりと本が詰まっていたり、床の上に所狭しと本が積み上げられていたりするのって大好きなのです。
本屋さんに買いたい本があるわけでもなく出かけたり、図書館に行くのも好き。
インクの匂いや紙の匂いというのは妙に心落ち着かせるものがあります。
装丁したての本の匂いもいいですけど、古い本から漂う、独特のものも捨てがたい。
古本屋で買った本には、メモ書きやラインなどが入っていると、なんだか得した気分になります。
その本に対する自分とは違う思いや考え方持った人と会話しているような気分になれますから。
なんせ一時は一日中タダで本が読めるからという理由で古本屋になりたかったくらいです。
今の古本屋さんは違うのでしょうけど。
ですから携帯電話で配信された本を読んだり、専用端末で本をダウンロードして読む本の様なものはどうも抵抗があって。
でもだからと言って紙に書かれた本が全て無くなるなんて事は少なくとも私が生きている間は無いでしょうね。渋谷のある占い師が言うには私は短命らしいので。
ま、物を書き留めるのに紙以上に便利な物を人が作るのは当分先の話みたいですから。
閑話休題。サザビーズにてマグナカルタが競売にかけられる、なんてニュースが伝わる中、大英図書館が保管している英国に関わる重要な原稿の展示を観に行ってきました。
有名な作家の直筆原稿や、手紙、地図、聖書など手書きのものや初版のものが展示されていました。
そしてあのマグナカルタもあります。
入るときは久々のボディチェックを受けました。警備はいつにも増して厳重です。
会場内は兎に角暗い。
強い光は紙やインクに悪影響だからでしょうけど。
それにしても流石は大英図書館。
古いものから新しいものまでよくこれだけの物をと思うようです。
中世の地図やバイブルがあれば、新しい物ではビートルズのヘルプやイエスタデイの歌詞が直筆で書かれた物があったり。
でも私が一番心に止まったのは、シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』の直筆原稿とトーマスハーディの『ダーバヴィル家のテス』の直筆原稿です。
テスの原稿には所々に言葉や文を足したり、又は横線で削除された跡があったりと本当に直筆原稿なのだなという感がありました。タイトル部分も最初に書かれた言葉を消してその上にテスの文字が書かれていました。つまり最初にハーディが考えていたタイトルは別にあったのですね。
そしてS・ブロンテの直筆の原稿を観る事が出来るとは。
ブロンテ姉妹の作品では『嵐が丘』よりもこちらの方が断然好きなので感激でした。
なんて偉そうなこといってますが、ブロンテ姉妹の作品と言っても実は『嵐が丘』と『ジェーンエア』しか読んだ事ないのですけどね。
直筆による原稿を沢山見ていくうちに、なんだかそれらの物から力強い物を感じました。
字に込められた思いが伝わってくるようです。だからこんなにも惹きつけられるのでしょうね。
心を込めて書くという行為にはこんな意味があるのかもしれません。
現代の日本では私もそうですが、多くの人が携帯やパソコンがありますから直に文字を書くなんて機会が大分減ったことでしょう。
パソコンのように誰でも簡単に書けるのは確かに便利です。たとえ手が不自由であってペンを持てない人でも文を書けるという素晴らしい機械なのです。
でも、手書きの手紙を貰った時の嬉しさ、心込めて書く喜びも大切にしたいものです。