侘び寂びの心。
さてラオコーン繋がりでもう一つ。
ラオコーン像を製作したのは3人のロドス島出身の彫刻家なのですが、彼らのうちの一人は、あのルーブル美術館にある『サモトラケ島のニケ像』を製作したのだそうです。
初めてルーブルでこれを観た時の、その美しさ、優美さは私なんかがどんなに語ろうとも語りつくせるものではないでしょう。
両手と首から上が無いのに、何故にこれほどまで心ひき付けられるのか。
右足を一歩踏み出し、今しも飛び立とうとするかのようなその一瞬を捉えたようなこの彫像、そのときこの女神はどんな表情をして、手をどのようにしていたのか、見る人の数だけニケ像の完成品というのはあることでしょう。
このニケ像、発見された当初は118もの断片だったそうです。
それを修復して1884年ルーブルに展示されたそうなのですが、驚いたことに1950年に右腕が発見されたのだそうです。でもそれは修復されずにルーブルに保管されたままなのだとか。
何故なのでしょうね…
ニケは勝利の女神といわれていましたから、ニケ像というのは数多く製作されていたみたいです。
ルーブルにある、サモトラケ島で発掘されたのが有名ななだけであって、大きさは様々ですがニケ像というのは探せば結構見付けることが出来るでしょう。
私から近いところで言えば、大英博物館にもありますから。
こちらは全身そのまま残っています。
ですから修復なんてしようと思えば、出来るはずなのに、あえて最初にルーブルに陳列された時の状態のままなのです。
色々な考えあってのことでしょうけど、私なりに言えるのは、今の状態が不完全な状態が一番美しいのかもしれません。あの像から何を足しても、何を引いても今以上の美しさは得られないのではないかなっと。
そういえばもう一つ、失われたことによって美しさを得た有名な像がもう一つルーブルにありました。
『ミロのヴィーナス』です。
あの像の両手も多くの人が予想しているらしいのですが未だにこれといった定説には誰も辿り着いていないとか。
もしその両腕が発掘されたとしたら、それでも今のままなのでしょうか、それとも修復を試みるのでしょうか?
観てみたいという気持ちもありますが、今のままでいい、という思いもあります。
ニケ像、ヴィーナス像、双方とも、観る人の想像力がその欠けた部分を補い続ける限り、決して色褪せない美を持ち続ける事が出来るのかもしれません。
そうそう、ルーブルでニケ像を見て感動した人、その美しさに心奪われた人、そして歴史的価値や思想に興味ない人は、大英博物館にあるニケ像は観ない方がいいでしょう。
私自身、目の当たりにしたとき、あのルーブルのニケ像もこんな顔をしてこういう手をしていたのかなって思ったら、何か、こう、大切なものの一つが大きな音と共に決壊していくものを感じましたから。