夏に見送られ

 ふと思いました。
 私達って夏を見送っているのかなって。
 むしろ見送られているのは自分達の方ではないかと。
 時間は刻一刻と流れるって、つい当たり前のように思っていますが、それってどうなのでしょう?
 例えば2007年7月25日12時45分15秒という時間は何処にも流れずに点となって止まったままです。そう、流れている、といいますか移動しているのは、時間ではなく自分達の方。
 時間という順番に並んだ点から点を、線で結ぶかのように移動しているのです。
 今年の夏を見送っているのではなく、今年の夏が私を見送っているのでしょう。
 遠ざかっているのは私の方なんですね。
 そして夏に置いて来てしまったものにも、見送られているのでしょう。
 夏が来る度に、もう会えなくなった友人の事を思い出します。
 もうあまりにも時間が経ちすぎて、今となっては時々しか思い出さなくなってしまいました。
 我ながら薄情だなと思いつつも。
 始めはまだすぐ近くにいるような気さえしていたのですが、段々と遠い存在のように思えてました。私の方は確実に年齢を重ねるのに、その友人と来たら今の自分の年齢の姿なんて想像すら出来ず、ずっとあの時のまんまなのですから。
 でも、遠い場所、近い場所なんて存在しないのでしょう、何処にも。
 近くに感じたのも、遠くに思えたのも自分で勝手に作っていたのですから。
 ある時、自分の行動や言動に、明らかにその友人の影響とも思えるようなものがあって、つい、でしょ?!って何処に向って言えばいいか分からない思いだけがこみ上げてきたりする時があるんです。
 でもそんな時、なんだこんな近くにいたんだ、なんて思えたりするのです。
 何処にでもいるけど、でも、何処にもいない。
 ただあの別れの日の時間の一点で止まったままなだけなんですね。
 でもそんな距離みたいなものをも一瞬にして限りなく0に近いところまで縮める事も出来る、それも私が生きているからなのでしょうね。

 生きていくって言うことは色々なものに見送られながら河の流れを下っていくようなものかな?もうもとの源流へとは向えない、後戻りの出来ない河下り。
 途中色々な所に寄っても、ずっと同じ場所にはいられないし、一人で生きていくことは出来ないけど、ずっと一緒に同じ人といることも出来ない。
 そして誰かを見送る側になるその日まで、続いていくのでしょうね。