10月14日 曇り後雨 気温
英国というのは実に多くの新聞がありこの国の人がいかに新聞というものにこだわりを持ているかということが知れます。
 そんな数ある新聞の中でも私が本当に素晴らしいと思えた新聞の一つである
 『Talking News Paper』
 の製作のお手伝いをさせて頂けました。
 この新聞は目の不自由な方達のために地元のボランティアの人達が原稿を読み上げテープへ録音し、それをダビングしてその家庭まで郵送するといものです。
 その歴史なんと28年。
 それ程に長い間続けられているということにこの国の人達の心の豊かさを感じました。
 
 私がもしなにか失敗をしたらそれは私一人の問題ではなくこれまで沢山の人達が年月をかけて築き上げてきた物を一瞬にして壊してしまうことになるのですから本当に緊張しました。
 何かあったら私が責任を取る、とよく聞きますが起こってしまった事態に対して責任を取るなんていって一体どうすれば責任を取ったということになるのでしょう。
 この仕事を辞めれば責任を取ったことになるのでしょうか?
 そんなことは絶対ないはずです。
 それは責任を取るどころかただの無責任でしかないのですから。
 残された人達のことを考えればです。
 そう、責任というものは取るものではなく果たすものであるはずなのにどうして何かというと責任を取るなんていう言葉が飛び交うのでしょう。
 私自身生まれてこの方、責任を取った人というのを知りません。
 もしいたら知りたいのです。
 責任をどうやって取り、取ることで事態がどうなったのかということを。
 作家の大江健三郎さんが何かの記者会見で朝日新聞の記者に責任をどう取りますか?と聞かれて彼が全ての責任を‘引き受けます’と応えたという話を聞いた時は流石だなあ、一流の人間は考え方や言葉も違うのだなあということを感じました。
 
 私のした作業は返却されたテープの整理と古い記事の消去と完成したマスターテープのダビング、そして完成したニュースの発送作業です。
 Talking News Paperというタイトルも面白いと思いました。
 こういうニュースですと
『リスニングニュースペーパー』
『リーディングニュースペーパー』
 もしくは
『ボイスニュースペーパー』
 という名前になりそうですが彼らはTalkingとしているのです。
 つまり会話をしている、こちらから一方的に情報を提供しているのではないということなのでしょう。
 作っている人から聞いている人へ直接の声は届きませんがテープ越しに様々な思いが伝わっているのでしょうか。
 
 スタッフはみな当然他に仕事を持っていますから本業が終わってからマスターの製作をして終わったら帰っていくのですが彼らは一仕事したなどという感じは全く無く又来週ねといった感じで帰っていきました。
 出来ることしているだけで特別自分が人に出来ない何かをしているなんていう使命感といいますかそういったものは無いみたいです。
 だからこそ28年間も続いているのかもなのです。
 
 これもコミュニケーションのあり方の一つなのですね、きっと。