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9月29日 木曜日 晴れ 気温22度
日本もようやく涼しくなってきて夜には虫時雨も聞くことができるようになったとか。
英国へ来てふと気づいたのですがこれだけ緑が多く木々が多く自然に溢れているというのに虫の声というものが殆どといいますか全く聞くことが出来ないのです。
夏の間も蝉の鳴き声は全く聞きませんでしたし。
でも驚いたことに英国の人はそのことを何ら疑問に思わないということでしょうか。
自然を大切にし、野生の動物を愛護しても虫に関してはほとんど気にも留めないみたいですね。
男の子も虫捕りなんてしないみたいです。
今は日本でもしないかな??
ですから日本人の言うところの『秋の虫の声』というのも理解不能なのだとか。
私たち日本人は虫の鳴き声を声として、つまり言葉として左脳で捉えていますがこれは世界的にみてかなり珍しいのだとか。
英国では音として右脳で解釈しているのですから。
鳥の鳴き声にしても歌うという表現は出来てもそれはあくまでもメロディーとして捉えているのであって何と歌っているのかは考えていないみたいです、といいますか、考えることが出来ないみたいです。
日本では小鳥はさえずる、鶯は経を読む(法華経と言ってる様に思えたのでしょうね)、不如帰が名告る(私にはそうは聞こえないのですが)クイナはたたくと色々な表現がありますがこれに関してもまず理解しがたいことなのかもです。
虫をはじめ万物に精霊が宿りそれらを神聖なものとして観る習慣が日本にはありましたが一神教の国では先ず有り得ないというところからきているのかもしれません。
もしくはもっと違う理由があるのかも。
言語とはその国の文化や歴史に密着しそのものであると言える時もあります。
些細なことではありますがこういうことを知っていくことが大切なのかも。
学校では決して教えてくれませんが。
鳥のことで
人が人となれたのは鳥が教えてくれたのではないか
私の先生が語っていました。
人の祖先は鳥を見てそれまで4本足で移動していたのを2本足で立ち、鳥の美しい羽を見て着飾ることを覚えた。
古の宗教に鳥を神として祭るのが多いのはそのせいかもよ、と。
つまり鳥がいなければ人はいなかったのかも。
そしてもっと違う生き物であったら人も随分今とは違った生き方をしていたのかも。
人が人としてあるのは人以外の命のおかげ
でもその人が今では他の種類の生き物を物凄い勢いで滅ぼしています。
一日に100種類の生物が人によってこの地球上から消えているのだとか。
ふとキアヌリーブスの映画『マトリックス』を思い出してしまいました。
美しいその虫や鳥の声は本当は何と言っているのでしょう?
それを分かる術はありませんが。