9月23日 金曜日 曇りだったり雨だったり晴れだったり
 泣き出しそうだった空も今はカラカラ笑っている。
 ロンドンは天気が変わりやすいとは聞いていましたが困るのは傘を出すタイミング。
 折りたたみ傘を広げた途端に止んだり折角綺麗にたたんでしまったらまた振り出したり。
 ええーいどっちなの?!!
 なぁんて聞くだけ無駄ですが。
 
 よく英語を上達させるには現地の人とのコミュニケーションを活発に図るなんてコト聞きますがそもそもコミュニケーションって何なのでしょう?
 辞書を引けば意味は載っていますが何故にその言葉を使わずにコミュニケーションという言葉を使うのかなぁ。どこかの大学では国際コミュニケーション学科なんていうものもありますし。
 要は人と人との会話?
 でもそれならマクドナルドでの注文もコミュニケーションって言えるのでしょうか?
 又、言葉を使えない人とのコミュニケーションって不可能なのかな??
 通じない人とも。
 この言葉はいつ頃から日本へ入って来て使われだしたのかは分かりませんがコミュニケーションという言葉が無かった時って一体どんな言葉が使われていたのか疑問は広がるばかりです。
 なんか逃避行してるみたいで。
 本来の主旨からは違う方向へテクスト状態な広がりに沿って行っちゃってますね。
 コミュニケーションという言葉を使うことで何か大切なものを薄めてしまっているような感覚に陥るのです。この言葉の出てきた段階でそれ以上の判断や思考を停止してしまっている様な気が。
 もう少しで何かが分かりそうなのにちっとも見えてこないでイライラするあのもどかしさというものがあるみたい。
 実際コミュニケーションの名前がつく団体の人たちに聞いてみたいです。
 英語を勉強しだして何故かそれと同じくらいに日本語についても考えるようになりました。そして私が日本語について如何に何も知らないかということが分かりました。
 
 他にも、例えば学校でよく耳にした『豊かな人間性を育てる。』
 人間性ってなんなのでしょうね?
 無差別殺人や爆弾テロも人間性なのでしょうか?