宇宙(そら)から降ってきた一滴の水

 友人から写真付きのメールが来ました。
 生まれたばかりの赤ちゃん(男の子)といまでは母親となった友人が写っていました。
 日本人である彼女が、初めての出産を英国の病院で行うと聞いた時は、病院の人には申し訳ないけど本当に大丈夫かなと思ってしまいました。
 でも世界何処でも言葉は違っていても人である限り出産は同じなのですからね。
 一つの命の中に新たな命が生まれるというのは当然のことなのですが、(命は命からしか出来ませんし。今流行のコピー人間やクローンにしても素となるものは生きている人間のものでしょうから。)考えるたびに奇妙な感動にとらわれます。
 そしてその出会い -母と子の- の奇跡というものにも。
 写真の赤ちゃんをみていると、生まれたばかりの命のなんて儚く脆い存在なことか。
 目を開けるには世界はいまだに眩しすぎるのでしょうか、ぎゅっと瞑っていますが顔はしっかり母親の方を向いています。
 何処にいるのか分かるのでしょうね、きっと。
 小さな両手は何かを探しているのか、それとも掴もうとしているのか精一杯伸ばそうとしています。
 ある作品の中で語られていたセリフを思い出しました。
 
  〜俺達は水のしずく 宇宙から降ってきた雨露
  この砂の星で火に焼かれて いつの日にか干上がってく
  巨きな傘の下で存えていても 明日はわからない
  この砂の星で風に吹かれていつの日か 地に染みてく〜

 それでも生きようとする、強くけど儚く脆いこの命にそして母となって友人にお祝いの言葉を贈りたいです。
 本当におめでとう。
 もう少し落ち着いたらカメラ持って遊び行くからね。