失われた記憶、書き換えられた記憶

 この時期になりますとスーパーや家々にはパンプキンヘッドが飾られ
色々なモンスターの格好をした子供達がお菓子の袋を持って歩いていたり
といった光景が良く見られます。
 そう、ハロウィンです。
 しかし、お祭り好きで宗教関係なくイベントを取り入れてしまう日本ですらハロウィンに関しては中々に定番の行事になれません。
 ま、熱心にやっているのは東京ディズニーランドぐらいでしょうけど。
 私も子供が家々意を巡ってお菓子を貰い歩く、ぐらいのことしか知りませんし。
 ですから子供のためのイベントって思っていたのですが、この時期、街のパブではハロウィンパーティーがあり、古い建物ではゴーストツアーがありで大人もしっかり楽しんでいますね。
 子供のときからずっとやっていれば大人になったからといって早々止められるものでもないのでしょうね。
 それにしてもよくこれだけの衣装や小道具が揃うなぁって感心させられるくらいに
仮装はどれも精巧なものが多いです。

 それもそのはず。ちゃんと専門のお店あるのですから。
 
 
 お店のショーウインドーに飾られていた衣装の数々。
 店の中には、小道具やかつらも所狭しと飾られていて沢山の人で賑わっていました。
 店に置ききれずにいる衣装のカタログを熱心に眺めている人もたり。
 
 それにしても、そもそも『ハロウィン』って何なのでしょうね?
 こちらの人に聞いてみたのですが、何をするのかは知っていても、何故それをするのかを知っている人っていませんでした。
 アメリカから入って来たものらしいと言ってた人がいましたが。
 なんにせよ楽しめればいいみたい。
 ここらへんはキリスト教徒でもないのに、クリスマスをする日本人と大して変わりませんよね。
 
 第一クリスマスにしたって別にあの日はキリストが生まれた日というわけでも無いみたいですし。
 何故やるのかなんて事は大した問題では無いのかもなのです。
 
 物事の真性や本質は時とともに失われて、残るのは、ただただ外側を覆う表面的なことや、その場しのぎで取って付けた様なかりそめの物だけとなる。
 でも、それが積み重なっていくうちに、気付けば本質に成り代わっていて、あたかも最初から、ずっと前からそうであったかの様に人の記憶に残る、いえ、都合よく書き換えられてしまうのですね。
 当初の目的なんて誰も覚えていない、それで誰が困るわけでもないし別に構わない…なんてことは、まぁハロウィンやクリスマスに限った事では無いのでしょうけど。
 なんにしてもハロウィンの起源や目的、当初の意味なんてものが仮にあったとして、それを仮装してハロウィンパーティーに参加している人や、お菓子を貰って回る子供に伝えたところで返って来る反応なんて分かりきっていますから。
 きっと
 『ふーん。それがどうかしたの?』
 か
 『で、だから何ナノ?』
でしょうね。