どこまでエリアは広がるのやら

 昨日の続きです。 
 そもそも成長するってどういうことなのでしょう。
 いろいろな答えがあると思いますが身体が成長するということは
少なくとも死ににくくなるということではないでしょうか。
 生まれたばかりの赤ん坊は本当に無防備で弱いものです。
 ほんの少しのことでも死に繋がってしまいます。
 それが成長するにつれて身体が丈夫になっていきます。
 それは命ある限り生きていこう、死から遠ざかろうとする生物本来が
持っている本能であり摂理です。
 
 成長とは生きていくうえで絶対必要でしょう。
 さっきから何当たり前のこと言ってるのかって感じですが
 だったら鼻と耳だけは他の器官が成長を止めてもここだけは
止めないってどういう意味があるのでしょうか?
 必要だからこそ成長を続ける二つの器官
 生きている限り人の話に自然の音に耳を傾け
周りの空気の中に漂う香りに意識を向けることが大切なんだってことなのかな?

 情報化社会なんて下らない言葉が出来てから人はその場にいなくてもその場所を
見ることが出来、音を聞くことが出来、言葉を伝えることが出来るって錯覚を持ってしまいました。
 日本にいてもアメリカで起きたテロを見ることが出来ますし爆音を聞くことが出来ますし、それが過去のものであっても音を聞くことが出来ます。携帯なんかで現地の人と話だって出来ますから。
 (ま、それは実際にするのと違って何らかのフィルター通してですが。)
 
 でも匂いだけはそのエリアを広げていません。
 その匂いを知るためにはそのものを自分の近くまで持ってこないと
だめですから。 
 そしてそうであることが人間らしさを保っているのかもしれません。
 自分が自分であることを確かなものにするために
 エリアを広げずにい続けているのかもです。
 
 変わろうとしているもの、変わるまいとしているものが
 どちらも成長を続けることが出来る。
それらを一緒に持ち合わせて生きているんですね。
 
 ある意味対照的な器官なのかもです。